生きる
村の男性は、基本力仕事系を行っている。 朝は漁や釣りに出かけ昼は農作業や大工的な動きを行う。
近くには沼があり、朝6時頃に仕掛けた網の回収や釣りを行う。(ナマズや鯉に似た魚がとれる)釣りの餌はそこら辺りにいるカエルである。常に真剣勝負なのだ!! 捕れた魚は村の人に売ったり自分たちで食べたりする。
近くでは、マンゴー、バナナ等のフルーツ、野菜を育てており、他では市場等で買ってきたりもする。 日本のように近くのスーパーやコンビニで買ってくるということは決して無い。
2泊3日にした理由
1泊で帰る予定だったのだが、次の日に日本の高校生が来て、小学生と交流会をするということだったので、どのような活動が行われているのかに興味があり、急遽バスをキャンセルしてもう1泊することにした。
この村には長野県の飯田市によって作られた「飯田小学校」がある。
毎年その小学校で、長野県飯田市の選ばれた高校生が15人ほど訪れて、村の小学生と交流を行う。
一番最後の写真の青のTシャツとタオルを巻いている人が会長で、昔森本氏と交流があり、小学校を立てるプロジェクトを一緒に始めたらしい。
この後、伝統の森へ行き絹織物の見学や和紙作りの体験を行い食事を食べる。
正直、高校生のうちに、このような経験が出来ることは非常にいい機会である。日本の環境で育ち、日本の価値観しか知らない。 それが間違いでは無いが、視野が広がるきっかけやヒントは得られる。 高校生の一人が小さい子を見て「なんであの子パンツを履いていないんですか?」という質問をしていたらしいのだが、そもそもオムツという概念が無いので、ムレてしまう為にパンツをはいていないのだ。 日本の常識はもはや海外の一部では通用しないのだ。
逆に、村では20歳ぐらいになると、スマートフォンを持っている人もいて、facebookやyoutubeをみて楽しんでいる姿もあり、ギャップに驚かされる。 僕も数人とfacebookを交換させて頂いた。
カンボジア人の発信はだいたい200近くのいいねが付けられており、自分がいいと思う物や投稿された物にはいいねをつけるという感覚的な所からくるアクションがあるのかもしれない。
一つ一つの行動に対して、日本みたいに「どう思われるだろう」という考えが無く、食べたいから食べる、暑いから働かない、仕事中に髪の毛を切りたいから切りにいくという感覚である。
今回2泊3日ではあるがカンボジアの方の生活を間近で見て多くの文化の違いをかいま見ることが出来た、また直接話を聞くことで、自身が思い描いていたカンボジアへのイメージとのギャップがあることに気付けたことは非常に大きな収穫だった。 (貧しいとか、貧しくないとかの次元ではなく、「生きる」上での考え方、スタンスの部分である)
また、村にもスマートフォンを持っている人がいて外の世界をより身近で見られるようになり、小さい子や中高生の、生活スタイル、将来の夢、また国の問題は5年前、10年前とは大きく変わっていると感じた。
0コメント